日本が誇る鋳物の街「西尾」





西尾で見つかる鋳物いろいろ

地域の水路を守る!
ご当地マンホール

おいしかった井戸水
手押しポンプ

今では懐かしい!?
郵便ポスト

町のシンボル
寺津大橋モニュメント

時を告げる...
無量寿寺の梵鐘

えっ、鋳物製のくつ?
おもしろ車止め
西尾の鋳物の起源
西尾市鋳物工業協同組合は1921年 (大正10年) に平坂鋳造同盟として結成され、2021年 (令和3年) で100周年を迎えました。戦争を乗り越え、高度成長期を経て、ドルショックやオイルショック、リーマンショックなどの社会情勢の変化による数々の大波を乗り越え、「西尾に鋳物あり!」として発展してきました。
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01
平坂が鋳物の町になった理由

平坂港之図
平坂町は愛知県の中南部、矢作川下流東岸にあり、碧南鋳物で知られる碧南市に隣接しています。
江戸時代に鋳造地として平坂が選ばれたのは、矢作川河口及び近辺に産する良質の鋳物用砂があったことと、平坂港が三河各藩の産物の集積移出港として、江戸をはじめとした各地への門戸として舟運の便が良かったことがあげられています。
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02
西尾の鋳物業発展の歴史

江戸時代の鋳物師
「宝船桂帆柱」より『鋳物師』

太田庄兵衛氏の墓。功績を讃えられ当時の職人により鋳物で建立された
平坂の鋳物は享保元年 (1716) に西尾藩主に招かれた太田庄兵衛 (正次 )・甚兵衛(正直)により、藩の殖産興業の一つとして始まりました。その後、太田家により操業が続けられていきましたが、明治27年 (1897) に12代・庄造正鎮が他の事業に失敗し操業を一時中止してしまいます。当時の職工長の奥谷広吉が事業を引継ぎ、明治28年2月工場を再興し日露戦争に使う砲弾の注文をうけて鋳造にのりだしたが失敗してしまいます。そのため、工場で働いていた職工たちが相ついで独立し鋳物工業の基礎を確立しはじめました。
大正以降は伊藤小三郎、松崎長之助らが中心になって鋳物工業の振興につとめ鋳物工場はますます増えていき、全国三大産地の仲間入りをしました。
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03
西尾の鋳物の発展に貢献した人々

十二代 太田庄造氏
文化・文政の頃に勅許鋳物師として「諸国鋳物師名記」に、平坂太田庄兵衛同甚兵衛の名前が出て来ます。鋳物師太田家は文化・文政頃になって平坂に生活の本拠が移ったものといわれています (註:小笠原崇光・前掲資料)。二人の鋳物師のうち、太田甚兵衛の家は常信・清信・重信の三人の鋳物師がいて、常信は、吉良宮崎延長寺梵鐘 (宝暦10年11月・1760)、一色味浜満国寺梵鐘 (寛政2年9月10日・1790)(清信・重信と共鋳) を、清信は、西幡豆祐正寺梵鐘 (天明8年11月・1788) を鋳作していますが、二代目で断絶してしまいました。一方、庄兵衛の方は盛大に受けつがれ、太田庄兵衛正次、庄兵衛正久、庄兵衛正忠、庄之輔正成、庄造正鎮とつづき、十代・庄兵衛正忠和三郎の頃に最も隆盛を極めましたが、十二代・庄造正鎮の時に他の事業に失敗して、明治27年8月に工場の操業を一時中止しました。
数字で見る西尾の鋳物
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IN NUMBERS
01
材質別割合

日本の全国的な割合とほぼ似ている。FCD(球状黒鉛鋳鉄)比率が数年来増えてきているようである。
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IN NUMBERS
02
生産品目別事業所数割合

少し地域的な特色が出ている。自動車鋳物が日本の鋳物の6割を占め、地域的にもトヨタのお膝元ではあるが、各事業所が主としている生産品目はかち合わず、バランスよく分かれていると見える。ただし、生産量の割合では03のグラフの50人以上の事業所のほとんどが自動車を主要製品としている。
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03
人員構成

50人以上の事業所は少なく生産量の影響は大きいので、コロナ・紛争・中国経済の影響により近年生産量は減少している。
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04
生産量推移

生産量はコロナ・紛争・中国経済の影響により減少している。
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05
組合加盟事業所数、従業員数 推移

バブル崩壊、リーマンショックと事業所数及び従業員数は比例的に減り続けていたが、2014年を機に従業員数が反比例で増えてきている。原因には近年鋳造業界の人員主戦力である「外国人実習生」の定着と1社あたり企業の受注量受け皿の増加による採用増加が考えられる。
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06
産廃計量 推移

2001年から直近2018年と紆余曲折あれど、奇しくもこの2ヶ所の年度においてはほぼ同じ計量t数を示している。
05のグラフから分かるように加盟事業社数は2001年51社から2019年32社に減っていることから、1社あたりの産廃計量t数は、鋳物生産量の伸びとともに増えていることが分かる。現在まで存続している企業1社当たりの生産性向上を示すものとなっている。